|
|
|
|
Royal Warrant(英国王室御用達)を持っていた日本人骨董商、
山中定次郎 |
|
|
|
20世紀初頭の「中国大陸を巡る西欧世界の状況」というのを年表にすると
大体こんな感じになります。この年表の中に、骨董の世界に大きな影響を及ぼ
した事件がいくつも含まれているのですが、その事件については、またいつか
書く機会があるでしょう。
さて今回は…(漢字が多くて少し読みにくいかもしれません)
1899〜1901年 義和団事件
1910年 辛亥革命
1912年 中華民国建国
1914〜18年 第一次世界大戦
1920年 国際連盟成立
スウェーデン人アンダーソン、彩陶発見
1921年 中国共産党結成
周口店(北京)の北京原人、最初の調査
1926年 蒋介石、北伐開始
1929年 世界経済恐慌
周口店で北京原人の頭骨発見
1931年 柳条溝事件(満州事変)
黒陶遺跡発見
1934〜36年 中国共産党大長征
1937〜45年 蘆溝橋事件起こり日中戦争
1939〜45年 第二次世界大戦
こういう時代に、イギリスでのロイヤルワラント(英国王室御用達)
を持っていた日本人がいました。山中定次郎(1866年〜1936年)
というのが、その人。
山中定次郎は、慶応2年(1866年)に骨董商の家に生まれ、明治
22年に当時の雇い主だった同業の山中吉兵衛の養子となっています。
定次郎は夜学の商業学校で学ぶかたわら、英語塾にも通ったりするほど
の勉強家でした。
山中は、ビジネスとしての「骨董」を極めた人物で、北京で大量の
古美術品を買い付け、ニューヨークやロンドンの支店などでさかんに売り
さばくという方法で、世界的に中国美術のブームを巻き起こしたのです。
彼は、第二次世界大戦前の世界で「世界のヤマナカ」の名をほしいまま
にしていました。
山中商会は、明治中頃に米国への進出を果たしてから、世界各地に
支店網をひろげ、日本・中国をはじめとする東洋古美術を大量に売り
さばいた空前絶後の巨大美術商であり、第二次世界大戦の終戦に至る
まで骨董界の牽引車として世界に君臨していました。
明治27年 ニューヨークに小店鋪を構える
明治32年 ボストン支店
明治33年 ロンドン支店
また、彼は、ヨーロッパに於いて、ジャポニズムから中国正当美術へ
の転換に大きな影響をおよぼした言われています。そして1919年、
山中商会の社長就任の翌年、日本人としては空前のロイヤルワラントを
獲得するのです。
彼は、20世紀の初頭という複雑でチャンスに満ちた時代を巧みに
泳ぎ回り「ロイヤルワラント獲得」という偉業を成し遂げました。
しかし、昭和11年(1936年 享年71歳)の彼の死後、第二次
世界大戦等により総資産の8割を占めたといわれる海外資産を失い、
さらに戦後は中国大陸からの輸入の道も閉ざされ、山中商会の歴史的
使命は終戦とともに果てたといわれています。
ロイヤルワラントというのは「英国王室御用達」のことで、現在で
はエリザベス女王、エジンバラ公、皇太后、チャールズ皇太子の4人
が認定できることになっています。ロイヤルワラントを取得するには
数々の難関があるのですが、物を販売しているお店やメーカーであれ
ば、その物の品質がよいことは最低限の条件になるでしょう。
つまり、アンティークという観点でいうと、ロイヤルワラントを持っ
ている商店で買ったものは『明日にはアンティークになる可能性がある』
ということです。
私のお気に入りのロイヤルワラントは「アト・ア・グランス」という
カレンダーの製作会社。100年以上作り続けられているシンプルな
デザインはとても素敵です。カレンダーなので、実用性という意味では
作られた年にしか使えませんが、古いものを手に入れて、その年に生ま
れた方の誕生日プレゼントなどにしてみるのも洒落ていると思います。
さて、山中定次郎という人物ですが、彼は「骨董・アンティーク」
というものが世界を動かすこともあるということを世界に証明した最初
の人ではないかと思っています。
【参考図書】
「流転 清朝秘宝」富田昇 NHK出版
「英国王室御用達」恒松郁生 小学館
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|