VOL.30

ウィロー・パターンの伝説 a legend of two lovers
ロンドンや日本の骨董市でよく見かけるブルー&ホワイトの器。
ブルー&ホワイトの好きな方は、その中によく似たパターンがあることをご存知でしょ
う。風になびく柳の図柄から、それは「ウィロー・パターン」と呼ばれています。
ウィロー・パターンと呼ばれる器には、必ず次の様な風景が描かれています。


大きな川と中州、中州に掛かった小さな橋。
川には小舟が浮いていて、中州にはあずまやがある。
橋の上には両手に武器のようなものを持った3人の人影。
川のこちら側には、高い塀と木々に囲まれたお屋敷と、風になびく一本の大きな柳の木。
そして、柳のはるか上をつがいの鳥が悠々と飛んでいる。

なんということのない、この中国の離宮の様な風景の中に、どこかロミオとジュリエッ
トにも似た恋の物語が描かれています。

ヨーロッパに中国の磁器が広まるきっかけは、1620年に起こったオランダ海軍によ
るポルトガル商船の拿捕事件でした。ポルトガル商船は中国の磁器を満載していました。
中国では明の万暦帝の時代。ヨーロッパではドイツを舞台とした三十年戦争が始まった
頃のこと。この頃から、ヨーロッパでは次第に発展してきた産業や科学技術を背景とし
て、国内での革命や国外への進出が始まっていきます。

ウィロー・パターンは中国でつくられたパターンをベースとして、1799年にトーマ
ス・ミントンによって開発されています。そのデザインは、LoveBirds(ボタ
ンインコ)に変わってしまう恋人の伝説にもとづいています。そして、恋物語の舞台は
中国ですが、実は物語そのものは、中国ではなくイギリスで生まれたものでした。


中国の清朝の時代(1662年〜1911年)、美しい娘を持った官吏がいました。
彼女は、彼女の父が持つ塔のある庭園に軟禁されていて、そこを出ることを許されては
いませんでした。彼女はある高貴な軍人公爵との結婚を約束させられていました。また、
だれも彼女の顔を見ることを許されてはいませんでした。

彼女の唯一の友人となったのは、庭にやってくる鳥たちだけでした。彼女は鳥たちにえ
さをやり、鳥たちは彼女の話し相手となったのでした。

あるとき、その娘を持った官吏は書記としてチャンという青年を雇い入れました。彼も
また、鳥たちにえさをやっては話し相手となっていました。そんなある日、一つがいの
キジバトが彼女とチャンとの間でのメッセージの交換の手助けを始めました。そして、
二人は瞬く間に恋に落ちてしまったのです。

チャンは、庭園の中を流れている川に浮かぶあずまやにいる彼女に、愛の詩を送りまし
た。彼女は返事を寄越しました。彼女は手紙の中に、「あずまやまでやって来てほしい」
そして「流れを下って私を連れ出してほしい」ということを記していました。

そんなやりとりの後、彼らはお互いに2度と連絡を取らず、娘の結婚式の夜まで辛抱強
く待ちました。
その結婚式の晩、庭園では盛大な宴が催されたのでした。
招待客がほとんど酔っぱらったとき、チャンは行動をおこしたのです。
彼は、使用人のローブを借り、招待客に見つからないように娘の部屋までいきました。

二人は抱き合って、一緒に逃げることにしました。
ところが、彼らは逃げるところを見つかってしまいました。
父親、公爵、そして招待客たちは橋を渡って二人を追跡しました。

二人は小さなボートで逃げ出しました。ボートは潮の流れによって運ばれていきました。
彼らは、そこから遠い島に落ち着き、農夫となりました。

父親は怒り、庭園の中のすべての鳥を捕らえ、鳥かごに押し込めてしまいました。それ
から、彼は部下に、彼の娘とチャンを見つけだすように命じました。その後、長い間、
彼は二人を見つけだすことができず、苦い思いをかみしめていました。但し、彼にはひ
とつの考えがあったのです。

父親は、捕らえた鳥たちのうちから2羽のキジバトを選び、空に向かって放しました。
思ったとおり、2羽のキジバトはまっすぐに、娘とチャンのもとへ飛んでいったのです。

そのために二人は見つかり、捕らえられて庭園の地下にある迷路の中に投げ込まれてし
まいました。そこで彼らはいたずらに逃げようと試み、お互いの手に握られた武器で死
んでしまったのです。

しかし、まさに二人が死を迎えたその瞬間、二人の愛は神に届き、神は二人をいつの世
にも変わらない愛の象徴として、LoveBirds(ボタンインコ)の姿に変えたの
です。

これが、ウィロー・パターンの伝説です。

中国で始まり、トーマス・ミントンによって完成したウィロー・パターンは、その後ヨ
ーロッパ各地の製陶会社で作られ、江戸後期には日本にもやって来ています。トーマス
ミントンが1769年にリバプールに開いたミントン窯は、絵柄の転写に関する特許を
持っていたらしく、ミントン以外の多くの製陶会社から次々と陶磁器が運ばれ、栄えて
いたようです。まるでグリム童話のようなウィロー・パターンにまつわる伝説は、ミン
トンの転写技術と一緒に世界中に運ばれていったのでしょうか。