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| VOL.9 | ||||
| 黄金を創った時計職人 <ピンチベック> | ||||
| 18世紀初頭のロンドンで、黄金が発見された。 正確に言うと、1732年、ロンドンの時計職人クリストファー・ピンチベックは「金」に代わる金属を発明した。それは、銅と亜鉛を主成分にした合金で、本物の金に比較してとても軽いものだった。合金は、彼の名をとって「ピンチベック」と呼ばれるようになる。ピンチベックは、年数を経るに従い、黄金の輝きは次第になくなり、少しくすみを帯びてくる… ピンチベックは金の代用品、つまりイミテーション・ゴールドとしてさまざまなアクセサリーに使われていました。現代のように、一般庶民がジュエリーを身につけることはなかった時代のこと。イミテーションとはいえ、金が多く産出されるようになるまでは、おそらく高価なものだったと推測されます。 ピンチベックという金属は、もともととても軽いものですが、アクセサリーとなったピンチベックも、その時代の金のアクセサリーがそうであった様に、非常に薄くて軽い加工が施されたものです。見た目はまるで黄金、でもその豪華さとは違って、持ってみるとその軽さにはびっくりされるでしょう。強く握ったら、まるで、アルミ箔で作られたオーナメントのように簡単に潰れてしまいそうです。 世界中でゴールドラッシュが始まり、本物の「金」がたくさん手に入るようになったヴィクトリア時代には、すでにピンチベックは「安物」といった扱いを受けていたようです。たとえば「ヴィクトリア朝小説を読むための手引き」には、Pinchbeck=偽物、あるいは安物のこと、といった定義がされています。しかしそれは、ほんの10年ほど前までは100万円もしたコンピュータが、今は数万円を出せば手に入るようなものかもしれません。 金の産出量が少なかった19世紀中頃までに、細工としても、とても手の込んだ作品が多く作られたというピンチベックですが、残念ながらその合金の製法は現在には伝わっていません。19世紀後半のゴールドラッシュにより、「金」が比較的安く手に入るようになり、イミテーション・ゴールドが必要なくなったということが大きな理由と思われますが、本当にそれだけがピンチベックの製法が伝承されなかった理由なのでしょうか。 私は、実はピンチベックは「錬金術師」ではなかったのかと思っています。 12世紀の中頃から、ヨーロッパで「錬金術」が流行し始めました。 「錬金術」という言葉から、いったいどんなことが想像できるでしょう?<魔法使い>とか<ぺてん師>、あるいは<悪党><詐欺師><贋金作り>といったところでしょうか。いずれにしても、 ……多少とも魔法の性格を帯びた術で、その目的は黄金を得ること、あるいは、びっくり仰天している野次馬どもに黄金を得たと思い込ませること… (文庫クセジュ「錬金術」) といったようなことではないでしょうか。 ところが、錬金術を研究し始めると、多くの研究者達はそうではないことに気付き始めます。「錬金術」を書いたセルジュ・ユタンの言葉を借りるならば「錬金術が単なる黄金製造術にすぎぬどころか、実際ははるかに高邁な、またはるかに複雑な何か」だということに。たとえば、ニュートンやボイルやライプニッツという科学者の名前は誰でも知っていると思います。彼らを「錬金術師」とは言い切れませんが、彼らが、金属変成術すなわち「錬金術」を信じていたことは事実です。 また「錬金術」というのは、近代科学とは違い「口頭」または文書による「伝授」という形で、師から弟子へとひそかにつたえられていきます。ピンチベックの製法が伝承されなかった本当の理由は、実はこの点にあるのではないかと睨んでいます。 錬金術師たちは、秘密結社を通じ巡礼やときにはジプシーたちに混じってヨーロッパ中を放浪したといわれています。あるいは名前から類推すると、ピンチベックはイタリア人ではないかということも考えられます。イタリア人であるピンチベックというのは、より錬金術師のイメージに近い気がします。 前述したニュートンは、1727年に84歳で亡くなっています。それから5年後の1732年に、ピンチベックは、合金であるピンチベックを発明しました。ロンドンの時計職人といわれているピンチベックが、同時代のイギリスで活躍していたニュートンと秘密結社を通じて知り合い、「錬金術」に関する情報を交換し合ったなんて考えながら、ロンドンのアンティークショップ巡りをするのも楽しいかと思います。 |
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